映画「恋する宇宙」感想
主人公がアスペルガー症候群の映画
レンタルDVDで「恋する宇宙」を見た。
↓町山浩行さんの映画レビューです。町山さんの評論は知識豊富で面白い。
町山さんもADHDだったとか。
町山智浩 アスペルガー症候群の恋愛を描く「アダム adam 恋する宇宙」 20090925
アスペルガー症候群の青年が主人公だというので、見てみた。
発達障害疑惑の夫が理解できなくて、ひたすら研究しているオタク気質の私。
(…いえ、初恋はサイボーグ009の島村ジョーという生粋のヲタク。)
発達障害の夫と比較あるある
主人公と私の夫(未診断)を比較してみると、うーん、あるある~。
しぐさとか立ち振る舞いはここまで挙動不審ではないが、
- 一つの物を食べ続ける
- 一方的にしゃべり続ける
- 気が利かない
- 不用意な発言をする
そして、なんといっても純粋なところ。本当にそう思っている。
ほとんど主人公と同じである、やはりどう考えても夫は発達障害だ。
主人公と対照的なヒロインの父親
主人公が恋するヒロインの父親が出てくるのだが、青年との対比が
巧みに表現されている。脚本、よく練られててうまいなぁ。
女性の父親は、見栄えが良く、堂々としていて口がうまく、野心的。
利益の為なら不正もする。
主人公の青年はあくまで自分の世界を大事にし、おどおどと不器用に
真摯に生きている。嘘なんてつけない子どものまま。
対極の位置にいる二人。
そんな主人公に触れて、ヒロインとその父親の関係も変わってくる。
ここからはネタバレなので、知りたくない人は読まないでください!
同一化とアイデンティティー
主人公は転職に成功し、ニューヨークからカルフォルニアに引っ越す事になる。
ヒロインに一緒に来てほしいという。
「君は僕の一部なんだ。」
「色々な事に慣れるために君が必要だ」
それにヒロインはこう答える。
「一人で行けないから来て、というのなら行けない」
そりゃーそうだ、小さい子どもの母親じゃないんだから。
これを実際に言われたら、相当ガッガリするだろーな…
(これもあるある。どんだけガッガリ発言があったか。)
発達障害の人は、他人との境界線が曖昧なのだそうだ。
抽象的な表現を変えると、自分がそう考える事は相手もそうなはず、
自分ができることは相手もできるはずと考えているのだそう。
もちろん他人は違う考えだったり行動なので、お互い怒りを覚えたりして
コミニケーション不全が起こる。
※なにもこれは発達障害だけの特徴ではなく、乳児期や幼児期の子どもにもみられるそうだ。反抗期や思春期というものの過程で、親と分化し、自分のアイデンティティーというものを確立していくらしい。
話しを戻して、ヒロインは主人公と触れ合ううちに父親の人格に気が付く。
父親を家族というだけで慕っていたが、父親を一人の人間として見るようになって
批判するようにまでなる。
自分とは違う人格があるという認知で分化あり、遅まきながらヒロインのアイデンティティーが構築された瞬間である。
ヒロインの成長を認識できない主人公は、ヒロインと同一化しようとする。
ヒロインが彼と同一化をしようとすれば、やっと得た人格を再び変化させ順応させなければいけないが、一度認知してしまったものを捨てる事は通常は不可能だろう。
もし順応させようとすれば、アイデンティティーの崩壊である。
その名は「アダム」
人類はここ100年ほどで急激に、個人化が進んでいるという。
それはアイデンティティーが人間に必要だから集団とならないのか、
個人化が進んだから、アイデンティティーを必要としているのか
私にはわからない。
発達障害といわれる人々は、急激な社会変化に、その純粋さが個性では
済まされなくなり取りこぼされている。
私も発達障害疑惑の夫を切り離そうとしている一人である…
他に助けを乞えるあてもなく、自分と子どもが生活できなくなりつつあるのだ。
(ここでも個人主義を感じている。)
子どもを成長させ、生き残るのが今はすべてだ。
嫌いではない、と改めて思う。
純粋であり真実が好きな人格、私にとっては魅力的である。
どうしてか。
もっと根源的で本能的、母性と呼ばれるものからくるものなのかもしれない。
この映画の原題は「アダム」という、主人公の名前は「アダム」である。