発達障害の夫そして自立に向けて

発達障害(未診断)の夫と離婚を進めています。私の病気、幼児もいるので不安だらけですが自立をを目指しています。

「岡崎に捧ぐ」を読み進める勇気がない

書店に平積みになってずっと気になっていた
「岡崎に捧ぐ」。

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)


ためし読みで、途中でつらくなってやめてしまった。

なぜなら、私は「岡崎さん側」だからだ。


家はボロくて貧乏でいつも散らかっている、
身なりも不潔な岡崎さん。

自由で好きなゲームもいくらやってもいいけど、それは岡崎さんが、ネグレクト(育児放棄)されているから。


私と同じ。

家はもちろんボロい公営住宅、お風呂は週に二日(それも沸かすと何故か文句を唐突に言われる、モラハラも有)。
歯を磨く習慣がなく、歯が痛くて歯医者に行きたいというと「そんなもん脳に悪い」。
高学年になり、自ら磨きだした頃はもう
歯はボロボロだった。

…大人の無知とは恐ろしい。

食べ物は常にあり、育児放棄も完全に放棄されているわけではないので、公的な支援は得られない。


知恵も力も経済力もない、サバイバーな子供時代。


「岡崎さん側」じゃない人は書けるんだよぉ、岡崎さん側じゃない人は!!

ジブリ映画にもそういう人物が登場する。

おもひでぽろぽろ [Blu-ray]

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私は複雑な気持ちで、この映画を見た。

(今でも高畑監督が何を言いたいのかわからん!と思っている)

私は主人公のような経験もしたことがあるし、全くわからない世界では無い。

だけど、「岡崎さん側」の人物が出てくると、まるで世界が分断されたような錯覚に陥る。

私の認知が誤っているのかもしれないが、

「世の中にはこういう現実がある、俺たちは違う世界をよく知っておけよ」

みたいに、上から言われているようかのように感じてしまうのだ。

こういう描写は時々散見され、児童文学や道徳の授業でも読んだ記憶がある。

そんなはずはない、「岡崎さん側」と「逆」は、完全にじゃなくても少しずつ重なっているはずの世界なのに、本当にそんなに違うのだろうか?

何故、私はこんなに違和感を感じるんだろうか?


岡崎さんと「逆」から描写されることはあっても、岡崎さん「側」から書かれたものは少ない。

ファンタジーなどではサバイバルな子供時代の作品もある。


リアルに書けない、というのはやはりシャレにならないくらい辛いものなのかもしれない。


「岡崎に捧ぐ」頑張って最後まで読みたい。

ついつい作者を検索した。

岡崎さんはどうやら大人になり、今でも作者と親交が続いているようだ。

タイトルがタイトルだからホッとした。

完読したら、また考えたこと、更新したいと思う。